
今朝は朝日の暖かさはあれど、風がひんやりして、ひき締まった感じの朝です。
小学校の卒業文集で、座右の銘みたいな項目に“不言実行”と書いた記憶があります。
有言実行は当たり前、言われなくてもやることをやる。
小学校の頃にすでにそんなことを思っていたようです(多少の天の邪鬼とカッコつけがあったかもしれませんが)。
今のこの歳になって色々な経験をして、今の私は小学生の頃に言った“不言実行”をやっているかも、と。
自分のやれることを精一杯やる、これが不言実行なのかもしれません。
今は天の邪鬼でもカッコつけでもなく、自然とそれをやっている感じです。
なぜそれを思い出したかというと、特に公言せずに被災地へ赴いて支援を行っている有名人の話題を見たからです。
支援しますと公言して行うことも素晴らしい。
また一方で自分が有名かどうか関係なくひっそりと支援を行っている人もいる、そんな人も素晴らしいなと思ったのです。
自分のできる範囲でできることは心の内に秘めた想いで“不言実行”、自分だけの力ではどうにもできないことは、公言して周囲の力を借りて周囲を巻き込んで行う“有言実行”、そんな使い分けができればいいかもなと考えます。
いずれもまずは“実行する”ということがとても大切なのですけれどね。
権力ってそんなに魅力があるものなのかなぁ
権力を持てば持つほど、その力に追われ続けていくような気がするんだけどなぁ
俺がただの市井の人だからそう思うのかなぁ
権力を持てば持つほど、その力に追われ続けていくような気がするんだけどなぁ
俺がただの市井の人だからそう思うのかなぁ

金メダルを手に入れたい
そう思わない人はいないと思う
物質としての金メダルを手に入られるのは
確かにごく僅か
だからと言って
諦めてしまうのは勿体ないよね
いつその僅かの中に
加わることができるかもしれないじゃない
目に見える金メダルばかりを追ってしまうと
本当に大切なものを見失ってしまうよ
“心の金メダル”
誰にでも手にすることができる
輝きを放った目に見えないメダル
一瞬一瞬を
一日一日を
一つ一つの行動を
精一杯心を込めてやり切って
人のために一生懸命になろうと思う気持ちが
必ず自分の心にも跳ね返って戻って来る
自分だけがよければそれでいい
そんな人には
安いメッキの偽者のメダルしか手に入らない
人が喜んでくれるから
人が感謝してくれるから
そのために自分を懸命に鼓舞して動いている人には
純度100%の金メダルを手に入れる資格を持つことができる
どんなに不様に見られようと
どんなに格好悪く思われようと
人の役に立ちたいと思い行動していれば
その心掛けが
すでに心の金メダルになっているんだよ
人生迷うことは多いけれど
岩をも貫く意志と
その意志を実現できる行動力を
日々磨いていけば
霧の立ち込める中でも
迷わずに進んでいけるはず
精一杯、自分のできることをやる
日々それを積み重ねていくことができれば
心の金メダルは
必ずあなたの手の中に輝きを放っているはずだよ
自分を信じて
道無き未知を歩いて行こう
その先には
あなただけの心の金メダルが
あなたを導いてくれるはずだから…

平安時代の末期から鎌倉時代の初期にかけて、奥州(今の東北)はある種独立国のような状態で栄華を誇っていました。
亘理権大夫藤原経清が前九年の役で源頼義・義家の力をうまく使い、奥州の俘囚の力を強め、その子藤原清衡が後三年の役で朝廷の支配力から奥州を解放し、平泉を拠点に黄金を中心とする富と仏教文化による平和を築きました。
その孫藤原秀衡は、平家を倒し全国の御家人をまとめ勢いに乗る源頼朝の挑発にも動揺せず、朝廷の権威もうまく利用して、奥州を往生楽土の平和な地域として守り、北方の王者と呼ばれました。
マルコポーロの東方見聞録に出て来る“黄金の国ジパング”はその時代の奥州をイメージして書かれたともいわれています。
最盛期の平泉は鎌倉と並ぶ大都市であったと伝わっています。
そんな歴史のある東北。
今この困難から立ち直るために今再び“奥州”としてまとまって、新たな栄華を築いてもらいたいな、と願っています。
自然に恵まれ、その自然を生かして様々な部品や半導体の工場が多く存在しており、東北が止まると世界の工業も止まってしまうというほどの影響力があります。
それらを元に今までのよき所とより先進的な都市計画を、国任せでなく東北連合独自で構築し、首都圏に劣らない日本の大都市地域圏を構築してほしいと思っています。
奥州藤原氏と伊達政宗が守り神としてきっと奥州に力を与えてくれるでしょう。
首都圏に利用されるのではなく、逆に首都圏を、いや世界を利用できるくらいの潜在力があるはずです。
田舎というイメージを今こそ一新してもらいたいと心から願うばかりです。

一人の人間として
勝った負けたってどういうこと?
勉強ができるから
お金持ちだから
社会的な地位を得ているから
人に羨まれるから
勝つってそういうことなの?
勝った勝ったとぬか喜びして国を動かす仕事をしている社会的な勝ち組は
社会のみんなを勝たせることができているの?
実際は社会的勝ち組の内輪のためにしか動いていないんじゃないの?
それって本当に勝ったことになんかなりゃしないよ
勝ったつもりでいるだろうが
本当は大負けしているんだよ
その負けを社会にばらまくのはお願いだからやめてくれ
人生で勝ち続けることなんてできやしないよ
ずっと勝ちっ放しだったら負けることを知らない
それは可哀相なことだよね
社会的に負けることはとても苦しく辛いけど
そんな中からたくさんの宝石が埋もれているのを知ることができるんだよ
だからその宝石を手にした時
汗も涙も流して来たこと自体が
本当の宝石=本当の勝つことだってことを知ることができるんだよ
社会的な勝ち組だと自負してぬるま湯に浸かっているろくでもない輩たち
あんたらにはこんな大切なことは死ぬまで分からないだろうね
表面的な勝ちにいつまでも溺れていればいいさ
血と汗と涙でできた本当の宝石は
あんたらの手に入らないよ
いや、手に入れさせたくもない
それはあんたらが見ようともしない社会的な負け組のみんなのものだから
真実の美しい宝石は
苦しくて泣きたくて仕方がない人達こそ
その持ち主に相応しい・・・

私には
偉くなりたいとか立派になりたいという欲がすっぽりと抜けている
若かりし頃は
自分の弱さやコンプレックスを隠そうと
地位や名誉を求めていたけれど
弱くてちっぽけな存在の一つにすぎないと分かってから
偉くなろうとか立派になろうという気持ちは薄れていった
もしなれるのであれば
素敵な人、いい人
私がいなくなった後で
あいつはいい奴だったよなとか
素敵な人だったね
と言ってもらえる方が
私には最高の褒め言葉だ
世の中的には何も残せないかもしれない
でも、私を取り巻く人達に
素敵だな、いい奴だなと思ってもらえれば
それが私の誇りあるステータスになる
自分の気持ちに正直に
自分のやれる事を精一杯やる
それが私のアイデンティティ
少しでもそんな私を認めてくれる人がいるのなら
私はその人のために
誠心誠意尽くしていこう
認めてもらえる事ほど
この世に生まれて来て
最高の評価はないのだから

すぐ隣りにいなくても
声が直接聞けなくても
あなたは私の心の側にいてくれる
暖かなお日様のように
闇夜を優しく照らす月のように
元気を与えてくれる鮮やかなチューリップのように
片隅でそっと咲く小さな花のように
穏やかな音を奏でる楽器のように
あなたの存在は私の力
存在してくれているだけで
生きる力を与えてくれる
いつもそっと手を差し延べてくれるあなたの存在は
宇宙の何よりも尊い
今同じ時代にいてくれてありがとう
歴史はこの先も刻まれる
そんな歴史の隅っこに私はいる
あなたが創る歴史の片隅に
私の居場所を造ってもいい?
あなたと一緒に
歴史のページを刻んでいければ
きっと幸せな事が訪れる
そう信じたい…
あなたが存在してくれる事は
何よりの力の源
その力を少し分けてもらって
私も前に進んでいくよ