皆さんもご存じかと思いますが、アナウンサーの川田亜子さんが自殺されました。
そのニュースを耳にして、私の思うところを伝えずにはいられないです。
恐らく川田さんはとても苦しみ、悩み、暗闇の中でもがいていたのだろうと思います。その苦しみは今の私ならよく判ります。
死を選んだ気持ちも判ります。
ただし、残された人々がこれから永く味あわなくてはならない悲しみ、苦しみを思うと、絶対にとってはならない手段を選んでしまわれたとしか思えません。
人間は不平等なのかもしれないですが、朝を迎える権利は誰にでも平等にあるはずです。
その素晴らしさに気付くことができれば、安易にその権利を放棄しようとは思わないだろうと思います。
暗闇でもがき苦しんでいたところから、光の当たる場所に戻ってこれた私には、光を浴びることがどれだけ幸せなのかがとても強く感じることができます。
一時の苦しみは後の糧になるはずです。皆さんにもそう思えるような人生が来るといいな、と心から願っております。
いつもと違って、重いテーマになってしまいました。明日からはいつもの花好きに戻ります。
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コメントありがとうございます。
他の人からはそんなに悩むほどではない、と思われることでも、その人にとってはとても重大なことであったりしますよね。
十人十色、人間の抱えていることは様々です。
他の国に目を向ければ、生きるという人間に与えられた平等の権利さえ奪われてしまっている方々が大勢います。
そのことを考えると、生きることができる、それだけで十分ありがたいことなんですよね。
あとは、それにどの程度気づくことができるかなんだろうな、と私は思います。
返答というより、持論を述べてしまった感じですみません。
つらい事件でしたよね。
多くの人が心を痛めたように感じます。
でも、何よりも本人がつらかったでしょう。
人それぞれ、見えないところで抱えているものは違う。
人それぞれ、物事に対する感じ方やとらえ方は違う。
何が良くて何が悪いなんてことはなくって、きっとすべてのことに理由があるんだと思う。
ただ、命は尊く、何にも代え難いもの。
その人にだけ与えられたかけがえのないもの。
それだけは心にとめておいてほしい。
と、思うのでした。
青夜さん、お久し振りです。
あのニュースを見て、やはり有名人があのような最期を遂げてしまうと、一般の方がそうなるよりも衝撃が大きかったのです。
それで自分の経験したことで役に立てることがあれば、と思い、この記事を書きました。
どれくらいの人が見てくれているかはわかりませんが、少なくともブログを見ていただいている方には、何かを感じ取っていただければ幸いです。
体調の方は、昨日までは崩してしまっていました。ただ、自分でも何が原因でこうなっているのかは分かっているので、今日からは持ち直しました。
ご心配ありがとうございます。
今苦労しているのは、PCが完全におシャカになって、ネットが使えないことですね(苦)
かっちんさん、こんばんは。
悩みを持って苦しんでいる方々に
かっちんさんの言葉の重みが通じると良いですね。
体調はいかがですか?
ご自愛くださいねv
>じょにさん
死が怖い、ということは、転じて生が愛しい、ということの裏返しではないでしょうか。
私も頭では死にたいと思っていても、心の奥底では生きていたいと強く感じていたからこそ、こうして今があるのだろうと思います。
時には落ち込むこともあると思いますが、前を見て歩いていれば、必ず何か大切なものが見つかるはずです。
>たわしさん
通常の状態の人から見れば、自殺なんてくだらない、と見えるのですが、追い込まれた人にとっては、死以外の何も見えなくなってしまうのです。
年齢を重ねるごとに、背負うもの、守るべきものが増えて来て、だからこそ生を全うして、周囲の人達と過ごしていかなければならないのでしょう。
人と人の間に生きているのが「人間」なのですから。
自殺なんてくだらないと言ってしまいたいところですが、歳を取る事にそうは言えない心情に変わったと思います。
知的障害を持った方とはIQをメインに考えられるのでしょうが、自分の回りにも部分的に「~ができない」「~に弱い」という人は多々います。もちろん僕しかり。
追い詰められ、自己防衛策として反射的に(人間として最初から備えられた物)そうなってしまう事もあるのかなと。
だから私達は友人、恋人、親、職場、その他色々な偶然の元に生きているのかもとたまに思います
この事案は正直分からないです…
すごい辛かったときにちょっとだけ考えたこともあるけれど、死の怖さですぐ放棄しました。
自分はネガティブな人間だけど、楽しいことがたくさんあるっていうのも知ってるので、できるだけ前向きにいこうと心がけてます。
だって後ろ向きになったら底無しだし、疑いだしたらきりがない。だから人を信じること、幸せを信じることを何よりも大切だと思って、そのことだけは貫こうと思います。
何やら話ずれちまったい。まあ、俺はこんな感じなのです。
>ヤコブさん
初めまして。コメントいただきありがとうございます。
今ヤコブさんは精神的にとても苦しい状況なのですね。私も前職(営業でした)では、やはり人間不信に陥り、というか、人を信じない方がいい、というとんでもない気持ちで前職の終りごろはやり過ごしていました。
しかし、環境が変われば、または変える意思を持てば、今とは違った状況がやって来ますし、周囲にヤコブさんを理解してくれる人が必ずいるはずですから、かっこわるいと思っても、その人達に本音を吐き出してみるといかがでしょうか。
きっと、理解してくれる人であれば、嫌だとは思わず親身になって聞いてくれると思います。
今は一時闇の中をさまよっているだけです。きっと光は差して来ます。私がそうであったように、。
>緋村@仁義さん
初めまして。コメントありがとうございます。
年齢・性別・人種・才能・容姿がどんな人であっても、このような状況が訪れることがあります。
生きるということは、いかにして死を迎えるのか、ということなのだと思います。
自分が死ぬ時に、どのような気持ちでそれまでの人生を振り返ることができるか、そのために自らか望むべきこと、やっておかなければならないことを道標として、そのときそのときを全力で駆け抜けていく、それができれば充実した人生が送れた、と思えるのではないでしょうか。
緋村さんはまだお若いようですので、今後沢山の経験をされると思います。その時点では無駄だなと思うことでも、後々には大きな糧になることもあります。
よき仲間を作り、自分かできることを精一杯やる。この基本を忘れないでいてもらえればな、と人生の先輩としては思います。
偉そうなことを申しまして申し訳ありません。
自分も今日の朝、このニュースを見た。
母とも、勉強ができて、綺麗でもこうなっちゃうんだねぇ、とか話してた。
正直、ずるいというか、理由はどうあれ、その選択は間違っていた気がしてならない。
自分はまだ子どもだと思うし、大人のそういう事情とかもあたんだろうけど、それが人生なんだと思う。
そんな簡単なことじゃないんだと思うけど、まだ何十年も生きられる可能性を自分で絶ってしまうのは、すごくもったいなんじゃないかな。
よくわからない文ですみませんです。
初めてブログに書き込みします。
この文章を読んでどう感じるのかはわかりませんが、私の今の気持ち。
私も今、もしかしたら闇の中なのかも。
人間不信で、仕事に意欲が感じられずに虚無感ばかりです。
朝が来ることに感動を持てない。
以前はそんなことがなかったのに。
でも私は信じたいです。
いつか必ず眩しい朝の光を心地よく感じられるはずだって。
みんなきっと、闇の中をもがいている。
みんな、みんな。
そのことだけは忘れないでいておこうと思います。